家具の歴史
(鳥海 義之助著 「クラシック家具」より)

中世

*クラシックとアカンサス

 地中海を地盤にヨーロッパ文化を開き,クラシックの発祥地となったのはギリシアとローマです。このギリシアとローマの家具の共通性は,クラシック家具の本質的要素を基礎づけた家具であるという点にあります。従って,共に女性用の家具は美的な造形性と休息機能性をもっていますし,男性用の家具は頑丈な造形性と活動的な機能性および住居の内外に用いるという機動性をもっています。例えばギリシアのクリスモスとローマのカーテドラは,すべての点に共通性をみせています。       
 しかし,寝台などは,両者の問に相違点があります。ギリシアの初期の寝台の水平な板床は,きわめて頑丈であり,有事には戦いの楯(たて)として使われたということです。ローマの寝台のように食事用にも用いられ,床下に卓を侍らせた寝台は,その後の寝台ということになります。なお,ギリシアは木製のはか,大理石製の家具をつくったのに対して,ローマではブロンズ製の家具が多くつくられた点も,両者の相違点であるといえましょう。
 クラシックには欠くことのできないモティーフであるアカンサス(Acanthus 和名=ハアザミ)は,ギリシアに始まっています。モティーフとしてのアカンサは,ビトルビウスの説によれば,紀元前440年ころ,カリマックスが処女の墓に供物をかごに入れそなえたとき,そのかどの下からアカンサスが生え,かどの周囲をおおった有様に柱頭装飾の暗示を得たということになっています。
 このような伝説的な起源はべつとして,柱頭装飾に植物を用いた例は,すでにエジプトにおいて綜欄(しゅろ)の葉をリアルに模倣したケースがあり,ギリシアにおけるアカンサスは,自然の模倣に創意を加えたものであるといえましょう。
 このアカンサスは,あざみ属に属する植物で,ギリシア,イタリア地方にアカンサス モーリスという種類が多く自生しており,これが古代の人びとの目にムれてデザインに結びついたものでしょう。なお,モティーフとして用いられているアカンサスは,ギリシアのアカンサスを範としており,各時代や文化の相違によって,様式にいく通りかのバリエーションがあります。ギリシアとローマのアカンサスを対頂してみますと,ギリシアのアカンサスの葉先はく,整然としていますが,ローマのアカンサスの葉先は円(まる)くおおらかです。また線形(えぐりがた)も,ギリシアは識純な到(えぐ)りですが,ローマは円弧により求めた幾何学的な到りです。このように,家具やその装飾をみても共通性と対照性がありますがこれをまとめますと,ギリシアは,パルテノン神殿の数理的なシンメトリーとバランスに代表される美的感覚と知恵を技術で表わしローマは,ギリシアを継承しながらさらに実用性と堆大な感覚を加えているということになります。

*異民族を結んだロマネスク
 
 古代ローマの末期にキリスト教が起こり,ヨーロッパ全域にキリスト教という精神的に共通点をもった社会が形成されました。この時代は西ローマのヨーロッパ統一がしだいに衰え,地域的に分裂しましたが,地方領主の統治により安定した中世効を形成しましたで,ここにキリスト教を背景にしてロマネスク様式が始まりました。ロマネスクとは,ローマ,ビザンチン,初勒キリスト教の造形の特徴を合わせ た様式であるといえましょう。イギリスではこれをノルマン式と呼びました。ロマネスクの家具の様式は一様ではありませんが,精神的なつながりに民族的な特色が加わってい。ろところが特色です。強いていいますと,ヨーロッパの家具は洗練されていますが,北欧とイギリスのものは民族的な租さと堅さがあるといえましょう。全般的に重厚さと,民族的な特色(民芸的要菜)を含んだものが多く,椅子をみましても,ヨーロッパ中部には,挽物(ひきもの)つくりの三角座の椅子や,建築的な四角座の腰掛けがあり,北部にはヴァイキングチェアや,挽物づくめの半円形座の肘(ひじ)掛け椅子,さらに挽物と到りとアーチをもった長椅子などがありますが,これらはすべてその背部がはとんど垂直であるという共通点をもっています。これは,ロマネスクのシンボルである水平,垂直にもとづく安定性の高い構成の影響ということも考えられます。
 ロマネスクのもう一つの特徴は,建築的な要乗やモティーフが家具に多く用いられているということです。急勾配の屋根形の蓋(ふた)をもった植(ひつ)や戸棚など,その典型例です。


ゴシック
*信仰と造形のゴシック

 ゴシック(Gothic)とは,ゴート的(東ゲルマン人に属した部族)な,粗野なという意味ですが,様式としてはキリスト教精神にもとづく造形を完成したものであるといえしょう。ゴシックは北フランスに起こり,13世紀から16世紀初めまでヨーロッパ全域に浸しました。中世には,キリスト教の信仰から人間の現実的生活がよみがえり,都市,住居,家具の発展がみられました。そして寺院内に生活を許され,奉仕と信仰に生きた人びとが家具づくりにたずさわり,これに当時の都市を歩いている旅の工人らも加わりました。
 一方,都市の工人は慣習と伝統の掟により,他の仕事に従事することは許されないというように,精神と技法を統一されました。その結果,手工的技法は統一的に定着して,これが家具づくりのみならず,ゴシック造形を実質的に築いたともいえましょう。
 ゴシック式家具には,まず,宗教的,建築的な影響が大きく,実用性はそれに次ぎました。ゴシックの家具を大別しますと,枠組づくりの家具と,板づくりのそれになります。
 枠組づくりの家具には建築のモティーフを端的に用いています。彫刻はリネンフォルド
花弁,茨(いばら),唐草などを使い,鋳りは,狭間(さま)形のものには花弁,茨などの吹き抜きと透かし彫りが,また,到りと刻みには唐草模様,人物などが使われていますが丸彫りを除き,これらは分厚で幅広の框(かまち)に対し対頂的な繊細さをみせています。また粗野な叩肌(たたきはだ)の蝶番と錠もゴシックの一つの要素といえましょう。
 板組づくりの家具は,分厚な板を大胆に用い,狭間形の飾り到り,線彫り,地透かし刻みの技巧が駆使され,パターンには花弁と茨形,唐草文様が使われています。とくに地透かし彫りの北欧的な彫肌と文様表現は,板組づくりの装飾の大きな要素となっています。
なお,槌(つち)打ち肌を残した帯状あるいは渦巻き状の飾り金具,長手蝶番,錠などの
金具もゴシックのポイントです。
 ゴシック家具を機能的にみますと,座板が蓋になり,なかにバイブルが収まる祈祷椅子
また,背究れが軸回転により前後に可動し,そのまま向きが変えられる長腰拭けなど
ユニークなものがつくられています。なお,つくられた家具も,雛段式食器棚をはじめ
厚板到りの構脚形式の机や食卓子,脚をもつ植,飾り棚や戸棚,背高椅子や腰掛けなど
人間生活に密着したものが多いのもゴシックの特色です。


ルネッサンス
シンメトリーとアンバランス

 ルネッサンス(Renaissance)の本質はあまりにも宗教的であった中世的精神から,人間性を重んじるヒューマニズムの精神を回復することにありました。これが造形上の傾向となったとき,とくにギリシア,ローマの昔に帰るという形をとり,ここに謁和的古典が復活しました。ルネッサンスの運動がもっとも早く現われたのはクラシックの母国イタリアで,ここでは14世紀にすでにその動きがみえて15、16世紀がクライマックスとなりました。フィレンツェのメディチ家が多くの芸術家の活動を助けたのはよく知られています。ルネッサンスはスペイン,オランダにつづいてフランス,ドイツヘとひろがり,とくにフランスはルネッサンスが基調となって,のちにヨーロッパ文化の中心となりました。
 これらの諸国につづいて,やや遅れてイギリスとロシアにもルネッサンスの運動がひろがりました。イタリアのルネッサンスは人間性を重視しましたが,その反面,庶民には運動が浸透しなかったようです。その原因は,支配層が権威を誇示するあまり,芸術上の
思想のみが先行してしまったということです。
 しかしその反面,芸術の上では個性が重んぜられ,家具の造形技術も著しく発展しました。フィレンツェの家具は装飾的で,質,量ともにローマやヴェネチアをはるかにしのぎました。ヴェネチアの家具にはゴシックの名残りがみえました。
 イタリアのルネッサンスの家具は,中世の構造的な家具から,装飾的な家具に変わったものであるといえます。
 オーダーやアーチ,持送り,挽物の片被柱の飾りなどの,建築のモティーフを家具に
とり入れた典型的なディテールといえましょう。装飾は,到りの大きい線形をはじめ,人像,獣身,アカンサス,富紋,花弁,懸花,ドルフインなどの彫刻が主となりますが,このはか,象嵌(ぞうがん),漆喰による凝刻文様や彫刻,金箔押しなど比較的自由な手法で表現されています。柩にも絵画を験(は)めていますし,揺籠から稀(ふいご)などの工具に至るまで,なんらかの装飾が施されていることによっても,いかに装飾的であったかがわかります。

バロック

 イタリアに端を発したバロック(不規則な杉の真珠を意味するポルトガル語)はルネッサンスの形式を崩すことなく,端整なうちにも量感的な流動性と自由奔放な表現性により,造形上に変化を強謁しています。                       
 バロック式家具は,直線と曲線の謁和した構成により,荘重で豪華な装飾性を生んでいます。その特徴は,モティーフがディテールにまとまり,ディテールがモティーフを現わすかのようにつながり,まさにバロック様式の本質を示しているものです。なおバロック式をルイ14世式と呼ぶこともあります。ロココは,バロックにつづいて18世紀のフランスを中心に展開した様式で,ルイ15世式とも呼びます。

ロココ
 バロックが男性的であるのに対し,ロココは女性的な曲線や流麗な曲面を好んで用い感覚を造形的に強調しています。装飾は彫刻を主体としていますが白色,金色のほか色彩を豊富に使っているのも,ロココが装飾様式だといわれる理由であるといえます。
 ロココ式家具は,ゴージャスなバロックに対し,当時の女性中心の宮廷生活を反映て,デリケートな曲線美が主体となっていますので,エレガントそのものです。しがって,女性用の家具が多くつくられました。たとえば,コンソール(サイドテーブルの変形),コンモード,ソファやゴンドラなどがそれで,とくに貝殻凝集のエレガントなオルモール飾りをつけた肘部を小さくし,すべりのよい絹地を張ったソファやゴンドラは,女性を対象とした様式の典型です。
 なお,ロココで注意を要するのは,庶民が用いたプロビンシァルな家具です。これから現代の私たちが得るところは,決して少なくありません。庶民的な食糧棚などは,宗教的な意味にも用いられた米植のようなもので,下台を甲板でまとめ,その上に外側傾斜上向きの箱が置いてあります。この箱にはパン粉を入れ,その蓋は練り板として用いられました。また,その上には壁のマリア像を祀るための灯りを立てました。
 以上のように,ヨーロッパの様式はいろいろな変転を示しましたが,そのなかで独自
の様式をもったのが,ヨーロッパの砂漠といわれたスペインです。スパニッシュ家具は,鉄を巧みに用いていることと,東洋的な板組,枠組,格子組を使っていることのこつの点において,ユニークな形式であるといえます。また,北部スペインはゴシック,南部はアラビアの影響を受け,これにフレミッシュが加わって,木材,鉄材,皮革が生み出す粗い肌合いに特色を示しています。
 また,スパニッシュ独得の形式として,サラセン人が残したバーゲーノーや鉄のS字形ブラケットを用いたスパニッシュ テーブルなどがありますが,とくに繊細な挽物や皮革細工は多分にポルトガル式の影響がみられます。このスパニッシュも,のちにはバロク,ロココと変化をみせました。したがって,この時代の様式は,フランスを中心とする変転的な様式,スペインの独自な様式,イギリスの伝統的様式の三つに分けて考えることができます。このように分けますと,三者の様式的な比較ができます。


イギリスのルネッサンス
伝統から個人へ                       、

 ヨーロッパの様式に対して伝統を誇ったイギリスにも,16世紀後半にルネッサンスが展開されました。チュードル期からアングロダッチ期に至る王室中心の家具を伝統様式とすると,ジョージアン期の4人の工匠らの様式は,伝統様式とは大きく異なりました。これらの伝統様式と工匠の様式とについて述べて串きます。
 チュードル期の家具にはゴシックの名残りがありましたが,エリザベス式の家具は重厚ななかにエレガントな格調をみせました。たとえば,直線構成のなかに大胆なメロンバルブを用いたなどは,その例です。メロンバルブは,寝台,卓子,食器棚などにシンボル的に用いられています。またモティーフは,ネリンフォルドにかわって,唐草文様や連続文様などが使用され,やや粗い味わいを残しているのが特徴です。

ジャコビアン
 チュードル期に続くスチェアート期は,オランダの影響の加わったジャコビアン式(Jacobean)を生みました。ジャコビアンという名称は,ジェームス1世の原名ジャコバスから生まれたものです。 
 ジャコピアン式家具のモティーフは,スチェアート全割にわたって伝統的な流れとなりました。その初期の家具は,構造的な重厚さと大胆な粗面仕上げが特色でしたが,しだいにオランダのやわらかさと融合しました。それは,初期ジャコピアン式がバロックやロココとは異なった意味で男佐的な性格をもつとすると,それ以後は女性的ともいってよいでしょう。
 したがって,メロンバルブに代わり,ガーリック,スパイラルの線形,スプリットスピンドルの挽物(半円挽物飾り),単一模様や連続文様のレリーフ,八角などのフレームとモールディングなどが,多脚式のサイドボードやカップボード,アームチェアなどに用いられています。なお,クロムウェルによる政治的変革は,国民に質素な家具を与えましたが,レストレーション(Restration)において,王冠を入れた彫刻をシンボルにして,再びエレガントな家具がつくられました。
 
ウィリアム=アンド=メリー
アングロダッチ期(Angrodutch)には,二つの家具様式が生まれました。その一つはダッチ式(Dutch)とイギリスの様式の技点となったウィリアム=アンド=メリー式(William & Mary)です。ウィリアム=アンド=メリー式家具は,トランペット,パルスターバルブ(中ふくらみ)の挽物を中心とした様式で,モティーフとして大きな到りと線形,ダブルスクロール,ダブルドーム,フレミッシュ フットなどを用い,キャビネット,テーブル,ハイ パックチェアなどがつくられています。

クイン=アン
もう一つの家具様式は,メリーの妹アンによるクインアン式(Queen Anne)です。
クインアン式家具は,挽物に代わってカブリオル=レッグ()を様式化しました。そのカブリオル=レッグは,無地無紋を特徴としています。
十字軍の葦になったナチュラル=シェル(帆立貝)とハスク(英)の彫刻匙形,蹄形,みずかき形,瓜玉形などの脚先をモティーフとしていますが,これはフランスのリーフ=カブリオル=レッグ(Leaf cabriol leg)を簡素化して用いたものです。
 また,つくられた多くの家具は,椅子にみられるようなやわらかい曲線によって全体が構成されています。たとえば,反りをもったスプーン バック,ヴィオリン形の背もたれ,丸みをもった座形などがその典型です。
 以上のはかに,ウィリアム アンド メリーとクインアンのこつの様式に共通していえることは,両者とも“薄板”を用い,ベニヤリング=ファニチュアの形式を生んでいるということです。その薄板は,木理そのものを生かすのではなく,木材を繊維方向に斜めに切削し,木理の春材と秋材の生長変化を活用したものです。
 したがって,つくられた家具にも薄板ばりのライティングデスク(ローボーイ)から
ブローカンアーチ(折れつながった山形支輪。)やスワンネック(鳥首図形)の支輪をつけたキャビネット,ドレッサー,ケースなどがあります。
 ここで二つの様式を比較してみますと,ウィリアム=アンド=メリー式は挽物を様式に生かし,クインアン式はカブリオルレッグを生かし,両者とも薄板を用いたということになりますが,ともに後期には,蒔絵(まきえ),象嵌,彫刻を施したエレガントな家具をつくっています。

ジョージアン
 ジョージアン期(Early Georgian)の始めに,伝統的な家具様式に大転換がもたらされました。その背景はイギリス社会の繁栄と国民生活の向上があり,家具づくりも,いままでの王室を中心とした様式から,4人め家具工匠らの名を冠した個性的な様式が生まれした。当時の家具づくりの4人の巨匠は,チッペンデール(Chippendale),ロバート=アダム(Robert Adams),へッペルホワイトシェレートンです。チッペンデールは,デザインと技法と企業の三面に卓越した才腕を示し,後日,ロイヤル美術協会員に推されました。 彼は用材の加工に妙を得ていて,デリケートな工作仕口のものにはマホガニーのような硬質材を用いたことと,作品には伝統的なバロック,ロココ,チャイナなどのモティーフを自由奔放,幻想的に表現し,多様なバリエーションを示しました。彼の初期の作品はオランダとクイン=アン式を消化し,中期の作品にはバロック,ロココ,チャイナを,後期の作品はゴシックを消化しています。当時もっとも多くつくられた椅子に例をとりまと,
カブリオル=レッグにはスプーン=フットやクロウ=アンド=ボールフット,ストライプ=レッグゴシック=レッグを用い,バックはリボンバック,ラーダーバック,ゴシック=バックチャイナバック,さらに透かし彫り一枚立て板のものや,枢に彫刻や透かし彫り,地透きなどを自由に施すところが,彼の得意とするところです。なお,ダブルスクロール彫刻脚のロココ式のコンモードなど,多くの作品がつくられましたが,なかでも陶器を収める飾り棚などはチャイナ=モティーフを用い,呼称もチャイナ=キャビネットとし,企業的センスの片鱗を示しています。モティーフも多岐にわたりましたが,とくに幼怒的な寝台にチッペンデール式のすベてが表われているといえましょう。ただ,このようなチッペデールにも,カード=テーブルのような機能的な家具があることを見逃すことはできませんロバート=アダムは,建築から家具工芸に入りました。彼は,統一的モティーフにより室内装蹄と家具の総合を試み,ロイヤル美術協会員に推されたのち政界に入りました。彼の作品は建築的ですが,ギリシア文様,ギリシア盃,古典人像,ハスク胡殻,円光パターン,スペード脚などをモティーフとし,建築的な線形,飾り面などを用いています。ナイフ壷を置く台を左右に備えたサイドボードなどは,建築様式を家具にとり入れたものといえましょう。
 また,彼は家具装飾にコンポ(白亜樹脂と糊を混合して成形したもの)を用いました。
これは,漆喰や漆蒔絵と異なり,文様や彫刻を成形して家具に貼りつけるものです。
後には芸術味を欠くものと評されましたが,マホガニーやサティンウッドの象嵌とともに
アダム様式の特徴であることは否めません。

ヘッペルホワイト
ヘッペルホワイト(Hepple White)は,古典をよく理解してアダムを範としています。彼は,アンダロダッチ期からの伝統形式を,単純で合理的な形式に整理し,当時の家具工匠の仕様に適したものとしました。また,彼は家具図案集を刊行し,ゴージャスなアダム式を畢純なへッペルホワイト式に置きかえました。
 彼も作品を多くつくりましたが,プリンス=オブ=ウュルズと呼ばれる三本の羽根飾りバックの椅子が有名です。また正面にカーブをみせたサイドボード,ナックル ジョイントをもったテーブルなど,機能的な家具,フランスのソファからヒントを得た長椅子などに彼のデザインとフィーリングを知ることができます。
シェレートン
 トーマス=シェレートン(Tomas Sharaton)は,幾何学的プロポーションを応用した軽快な新しさと,古典の様式をモティーフとしています。彼自身も数冊の図集を刊行していますが,その写生図は彼の作品か否かは明らかにされていません。
シェレートンの作品は,後期になるにしたがって簡易になり,量産的な形式となっています。アダム式,へッペルホワイト式,とルイ16世式を合わせ,直線構成にわずかな曲線が加わった,一見堅い感じですが,適量の装飾的彫刻,挽物,象骸,寄せ木,縁どりと連続飾りなど,産業革命による機械生産への対応を予測すろかのような様相ををみせているといえましょう。また,披の部分的な色彩(木材色と塗装による色彩)使用は,チッペンデール式の奔放な変化とともに,工匠様式の特色となっています。

コロニアル
イデオロギーと新造形

 19世紀に入ると,イデオロギーにもとづく新造形が現われました。コロニアル式は,アメリカ大陸移民が母国生活をしのんでつくった家具の様式で,革命後はフェデラル式と呼ばれました。したがって,パイオニア的な家具から洗練されたハイ ボーイ,ロー ボーイ,ブロック フロントなどの実用家具まで含まれています。様式は主としてイギリス,オランダという順の系列に属するといえましょう。
 その後,ヨーロッパの感化を受け,クラシシズムを経て新しい造形に変展していきますが,これより先に,スペインのミッション式,イギリスから入ったシェーカー教式家具と
ウインザーチェアを知ることも,コロニアルを理解するうえで重要でしょう。
 ディレクトリアル式(Directoire)は,ルイ16世式がアンビール式へ移行した様式です。そのアンピール式は,ナポレオンの帝位を誇示した重厚な様式といえましょう。
 
アール=ヌーヴォー

アール=ヌーヴォー式(Art Nouveau)は,ヴァン=デ=ベルデらによりブリュッセルに起こった様式で,パリにおいては植物の形態からヒントを得た曲線構成を造形理念とした運動になりましたが,曲繰形態が木取り,構造の面で不合理性となって現われ,論議を呼びました。しかし鉄材による三次元的曲線を創造したという功績を残しました。なお,ドイツでは
アールヌーヴォ}をエーゲソトといっています。

モリス 
ウィリアム=モリス(William Moris)は,過去のビクトリア期の様式の再台頭と,産業革命による機械生産品の粗悪さに対して,“人間による労働の喜びの表現”を唱え,ウェプ,ゴードウィン,クレインらの協力を得て,手工芸運動を展開しました。しかし,質より量の時代の流れに押され,彼の運動は限界に達し,後退しました。しかし,その影響はヨーロッパ全地域に及びました。
 この工芸運動は,粗悪な機械生産を否定し,槻械生産の将来を戒め,工業のなかに芸術を応用する分野の存在を示唆しました。このような経過の後に,マッキントッシュらは機械を生産手段とし,植物の生態をモティーフとした新しい造形を展開しました。なお,プロビンシァルなウインザーチェアは,ウインザー郊外に始まり,アメリカに波って民芸的な家具としてユニークな存在となりました。


ビーダーマイア
 ビーダーマイア(Biedermeier)は,ドイツ=アンピール式といわれ,1815年から1848年まで,頑規な風格とアンビール式を模倣した様式として家具に影響を与えましたウィーンに起きたゼセッションは,過去と分離した様式でした。ホフマンらにワグナーが参加し,“芸術はただ必要によって支配される”と説きました。この運動は,ウィーンからヨーロッパに広がりましたが,初期の作品は,アールヌーヴォー的な要素をもっていました。ドイツの工作連盟の運動は,1907年にムテジュムスの公開講演に端を発した「美術と工業と手工作の協力により,生活用品の良質化」をはかろうとする人びとの運動でた。1910年に開かれたドレスデン屁におけるブルノパールの“形家具”は,今日の成形家具の素形となりました。この運動は一貫した目的に向かい,成果を上げました。
バウハウス
 バウハウスは,1919年に,“応用芸術と純粋芸術を結合し,一つの総合体とする”
ことを旨として,グロピウスを絞良としてワイマールに創立されましたが,当時の−ナチスはこの教育思想を好まず,バウハウスはワイマールからオデッサに移され,さらにベルリンに移り,閑絞以来15年,ついにベルリンを最後に解散しました。
 その後もマルセルブロイヤーなどの教投降の活躍はつづきました。バウハウスは,産業と芸術の結合を理念とし,実質的には今日実践しなければならない要素を備えていまた。構成派は,第一次世界大戦の前後にロシアに起こった造形運動です。最初は,過去を排除するという国の政策に沿った運動でしたが,しだいに政治的に圧迫を受け,その発展を他国にゆだねました。構成派の家具は,オランダのリートフェルトの板と柩による新しい造形のチェアに代表されるといえましょう。北欧のクラフトは,機械流の量産時代のなかにあって,手工芸的な技法を生かしました。フィンランドの建築家アールトーをはじめ,多くの芸術家たちは,機械万能主義のデザイン思想に追従せず,国民怯と環境風土を考し,槻械生産の冷たさにハンドクラフトの持味を加えました。そしてフィニッシュモダン、スェデニッシュモダン,デーニッシュ=モダンなどと呼ばれる人間味のあるクラフトを生み出しました。
 
 イタリアのハンドクラフトは,合理憧や能率佐からは得られない人間の満足感を,たんなる伝統技縮や,歴史的様式の繰返しとしてではなく,今日のインダストリアルデザインのなかに新しい造形の可能性を追求しました。ジオポンティのハンドクラフトは,これらの方向を示唆しているものといえます。